電子レンジとターンテーブル 1



 電子レンジが壊れた。いや、正確にはターンテーブルが、割れた。あんな分厚い皿が割れるなんて思いもしなかったが、実際に目の前で真っ二つになっているのだからどうしようもない。
 地上百五十センチのキッチンラックから滑り落ちた薄黄色のターンテーブルは、見事な半月になってしまった。安っぽいフローリングの上に二つの月が上がったところで、何か奇跡という名の復元魔法が発動する訳でもなく、俺は溜息と共に破片を拾い上げた。

 踏んだり蹴ったりだ。よりによって、一年とちょっと付き合ったカノジョについさっきフラれたところ。泣きっ面に蜂とはこのことなのか。
 不貞寝してしまおうかとも考えたが、情けない救援を求める腹の虫が治まらない。お湯を沸かすことは出来るが、肝心のカップメンは買い置きがなかった。手元にあるのは、つい数時間前に廃棄となった冷たいコンビニ弁当のみ。傷心で冷え切った弁当を一人つつくなんて、想像しただけでも虚しくなる。
 少し迷ってから、俺はビニール袋へ冷えた数本の缶ビールを詰め混んで部屋を出た。

 纏わり付く湿気が、バイト上がりの肌を舐め上げていくような感覚湿度を残して気温だけが下がった梅雨時の夜は、独り身になった寂しさと相成って、妙に惨めな気分になる。
 腐った気分でアパートの階段を駆け降りると、階下の呼び鈴を連打してやった。

「みっきくーん」
「――…新聞は、間に合ってますんで」

 やや間を置いて、寝癖を掻き回しながら現れた階下の住人は、俺の姿を視認するなり問答無用でドアノブを引いた。すかさず片足を入りこませて、ドアの自由を奪う。
「ほら、差し入れ!」
「はぁ!? なんスか、こんな時間に突然押しかけといて」
 隠しもしない舌打ち。予め覗き穴で訪問着確認しないお前が悪いんだよと内心で毒付き、手にしたビニール袋を揺すって見せた。手土産も持ってきたから、ちょっとくらい話を聞きたまえ。

「こんな時間て、まだ零時回ってねェけど」
「俺は昨日遅くまでレポートやってたから眠ィんだよ」
「まぁまぁ、昨日は激しかったの?」
「そうですね、誰かさんにサークルの雑用押し付けられたモンだから、俺には珍しく〆切りギリギリの提出でしたよ」
「誰かさんて、誰だろうねぇ」
 容赦なく閉じようとしているドアへ挟まった右足が痛む。スニーカーでなくサンダルで来たら大惨事だったであろう攻撃に、どうやら虫の居所が悪いらしい後輩の様子を察しておかしくなった。この莫迦律儀な後輩は、俺の代わりに大学サークルの雑用をこなしてくれたらしい。

「ああ、痛いなー。三木くんに虐げられてる右足が痛いなー」「ざけんな、くそ、抜けねぇしっ」
 しかし、深夜と呼べるこの時間に玄関先でのやりとりはあまりよろしくない。俺は首を回して廊下を見回し、それなりに痛む片足を部屋の中へ押し込んだ。
「ごめんなぁ、俺、足長いから」
「ちょっと、アンタ、」
「おっじゃましまーす」

 機嫌の悪さは、寝起きの所為もあるようだと察しつつも、悪態とドアのディフェンスをなんとか掻い潜って、室内への侵入を成し遂げる。遠慮なくリビングまで上がり込み、右手に缶ビール、左手に弁当を手にして振り返った俺の姿に、三木は大きな溜め息を吐いた。
 暗がりの玄関から腕を組んで、俺へ非難とも諦めともとれる視線を投げる。言葉を選んでいる時の三木のクセ。構わず俺はいそいそとローテーブルへ缶ビールを並べ、テレビの前へどっかりと胡坐を組んだ。

「お前、メシは?」
 傍にあったリモコンを引き寄せ、テレビの電源を入れた。途端に騒がしくなった室内。やたら派手なお笑いタレントのコメントへ被せて、三木へビールを差し出してみる。
 壁にもたれてた半身を起こし、またひとつの溜め息と共に三木はそれを受け取った。プシュっというマヌケな音。自分もそれに習ってビールを煽る。

「どうしたんですか、突然」
「電子レンジが壊れた」
「また急に……いや、アンタが前置きしてくれることの方が少ないですけどね」
「電化製品の故障が予期出来てたら、今ここにいねぇよ」
「はいはい。で、何用で?」
「――…あっためて」

 差し出されたコンビに弁当と俺の横顔を見比べ、三木は部屋着なのか寝巻きなのか判らない色あせた紺色のTシャツの裾を意味もなく引っ張って、何か言いたげに唇を動かした。
 普段ならこの態度のデカイ後輩の小言など軽く返してやれるが、とても今はそんな気分になれやしない。口まで出かかった小言を飲み込んだらしい三木は、大人しく弁当を受け取ってレンジへ向かった。

 階下の、同じ間取りの部屋。違うのは揃えられた家具だろうか。既に「元」になったカノジョに言われるままにラグやクッションを買い揃えた自分の部屋と比べると、こちらは質素そのもので、見るからに男の部屋。
 予め備え付けられた家具をそのまま使っているところなど、後輩の性格を体言しているようで面白い。

「何かあったんすか」
 テレビに眼を向けながらそんなことを考えていた俺に、稼動中の電子レンジを背にした三木が問い掛ける。視線を動かさなくてもわかる。いつもの眼で腕を組み、一歩引いてこちらを傍観しているんだろう。
 あの眼は、少し恐い。卑下するような眼でも、庇護するような眼でもない、意図の読めない遠い眼で見つめられると、途端に言葉が出なくなった。

「……カノジョにフラれた」
「は?」
「だから、バイバイされたの。理想を私に押し付けないで、なんて、そんなのお互い様だろうに」
「なんで、仲、良さそうだったじゃないですか」
「ここ最近はなーまぁ、微妙っちゃあ、微妙だったから、全く予想出来なかったワケじゃない」

 急に流れ出したマヌケな電子音。レンジに背を向けたまま暫し動作を止めた三木は、急かされるような二回目のコール音でやっと、中の弁当を取り出した。
「止めなかったんですか」
「んんー…もうそう思っちゃった時点で、取り返しはつかんだろ。いくら話し合ったとしても。だから、そのまま頷いた」
 温まった弁当を受け取ると、三木が隣に腰を下ろした。TVを正面に肩膝を立てたまま胡座を組む。先程開けたビールを嚥下した三木の喉仏か、ゆっくりと上下した。

「電子レンジって」
「あん?」
「電子レンジ、どう壊れたんすか」
「どうって……」

 何だ、話をそこへ戻すのか。気を使って話題を変えてくれたのか、それとも単に他人の色恋沙汰に興味がないのか。そういえば、コイツにカノジョがいるとか、好きな奴がいるとか、そんな話を聞いた覚えがない。
 無愛想ではあるが、律儀で気の利く真面目な奴だ。見た目だって凛々しいし、他人との距離も弁えている。そんな噂がないとは、逆に不思議な話。

「どうって、」
「電源が入らないとか、食品が温まらなくなったとか」
「いや、そんなんじゃねぇよ。本体は元気」
「じゃあ何が」
「ターンテーブルがな、こう、バリンと」
「はぁ?」
 あれって割れるモンなのな。悲しむでも落ち込むでもなく、どうすれば良いかわからなくて、結局は曖昧に笑ってみせる。両手で真っ二つに割れた様を再現すると、三木は額を抱えてビールをテーブルへ置いた。

「もしかして、ちょっと前に響いた鈍い騒音は」
「多分、綺麗な半月が床に上がった瞬間」
「何やってんすか、先輩」
「別に、ちょっと汚れてる気がしたから、一度取り出して洗おうと思っただけ」
 あれだけ盛大な音を立てて落ちたんだから、真下にあるこの部屋へ音が響いていてもおかしくない。俺が差し出したスナック菓子をわざわざ一言礼してから摘む三木と、ふてぶてしく年上に小言をかます三木の姿は、繋がるようで繋がらなかった。
クールで無口そうだから、話しかけ憎い。同じサークルの後輩が三木のことをそう言っていたなと、唐突に思い出す。

「レンジの中の……あの回ってる本体に直接皿乗っけても駄目ですか?」
「駄目だった。エラーになって温め始めてくれない」
「あ、意外と高性能なんですね」
「実家のお下がりだから、無駄にデケェしな」

 それでも、料理好きな元カノには好評だったから不便はしていない。肉が焼けたり、かぼちゃが煮えたりする機能は俺に使いこなせなかったが、その恩恵にはちゃっかりと与っていた。それがもう叶わないと思うと、二倍増しで寂しい。
 ああ、やっぱりへこんでるんだな、俺。今日壊れた電子レンジみたいだと、自嘲的に笑う。本体に異常はないというのに、活動するための基盤を失くしてしまった。そんなカンジ。

「センパイ、明日は授業午前中だけでしたよね?」
「……そうだけど?」
 黙ってビールを傾けていた三木が、唐突にこちらを向く。負担伏せ眼がちのコイツと眼が合うと、日常会話の途中であっても心もとない気分になる。文字通り真っ黒な眼と、前髪。感情のないどこかぼーっとした面の意図が読めず、目の前のサキイカを口へ放り込む。

「俺もなんで、午後から電気屋回りしましょうよ。電子レンジ、ないと困るでしょ」

ぴくりとも眉を動かさずにそう言い放った後輩の顔に、視線が縫い止められた。大きくなったテレビの笑い声につられて失笑すると、無表情を決め込んでいた三木の眉間にシワが寄る。
「なんで、笑うんすか」
「いや、だって、お前さ」

 気を使ってくれるなら、飲みに行こうとか、カラオケ行こうとか、もう少しマシな誘いをしてくれればいいのに、電気屋って。しかし三木らしい発言に可笑しくなって、声を上げて笑った。
 沈んでいた俺の気分がなんとなく浮上する一方で、三木の表情は苦そうに曇るばかり。行くんですか、どうするんですか。あからさまに機嫌の悪い声で、視線をテレビに移してしまう。

「行くよ。付き合ってくれるんだろ」
「はいはい、お付き合いしますよ」
「ってかさー、ターンテーブルだけ売ってないのかな」
「いや、中身だけ売ってるトコなんて見たことないですから。それ以前に、ターンテーブル割った人なんで初めて聞きました」

 俺様らしいだろ。笑う俺に心なしか三木の表情も柔らかくなって、また気分が浮上する。テレビの中で、芸人達も笑い転げていた。





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